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平清の歴史博物館
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お店や錦帯橋の歴史をまとめてみました。どれも店内のどこかにあるものです。どうぞ直に目にしてやって下さい。
(1)昭和初期の店舗風景(登冨横町)
右手に氷で冷やす冷蔵庫。上に氷を入れ、下に冷やしたいものを入れる。当時冷蔵庫は珍しいものでした。
左側に魚を処理する流し台。流し台の位置は今も変っていません。棚には諸道具が見えます。このくらいの広さで仕事ができたんですねえ。
大黒柱の柱時計(下の写真)は今もここの店で時を告げています。
(2)柱時計
大正頃の生まれかと。私が小さい頃は夜中に鳴る音がとても恐かったものです。鳴る数も多いですし。
時々お疲れになるのでしょうかお止まりになりますのでその度に直させていただきます(これが結構かかりますが・・・)いい音が出てますので毎正時に聞いてやってください。
(3)錦帯橋・高欄貫を使った手すり
錦帯橋廃材(平成の掛け替え)の一部を店内の手すりに活用しました。
「高欄貫」は手すりの下にある細長い部分です。風雪に耐えた木の感触は何とも言えぬ暖かみがあります。頭領がおっしゃるには、目のよく通った節のない部分でとっても良い材だそうです。
(4)流失前の錦帯橋
昭和10年前後でしょうか。二十五年の流失前の写真です。横山側からの写しています。
左端に街灯が見えます。ガス灯でしょうか? また、橋脚(石の上)部分の欄干に「擬宝珠」がついています。現在とずいぶん違いますね。
第五橋の橋杭に材木の不揃いな感じがします。現在使われているような材木を入手するのは困難だったのでしょうか?それとも現在が恵まれているのでしょうか?
(5)錦帯橋流失後の写真
錦帯橋流失後(S25年)横山側から岩国側を写したもの。今のバスセンターの場所に山口県地方事務所(当時)がありました。
よ〜く見ると、ボンネットバス、ボンネットトラック等が見えるのですが…。(この解像度では・・・)
(6)岩国寿司のおけ(木枠)
平清一番の働き者。昭和初期より使われていたと思われます。下台の切り分け口が無言の歴史を伝えています。枠が所々茶色くなっていますが、これは漆のはげ残りです。昔の道具は大切にされており、大事なものはたいてい漆が塗られていました。「おけ」は大切な商売道具でした。
一線を引退した今はこうやってお客様に岩国寿司を説明して、店を見守ってくれています。役目が変わってもまだまだ現役のようです。
やはり、平清一番の働き者!
(7)平清の「布袋様」
平清で育った子や、遊びに来た子供は必ず布袋様の頭やお腹を触って楽しんでいます。子供達の優しい神様です。子供達と遊びすぎて、ある日誰かの投げたものが当たって右手がなくなってしまいました。それでも子供達と楽しく遊んでくれます。七代目の私も頭やお腹を触って遊びました。
なお、私が物心ついたときにはもう右手はありませんでした。念のために申し添えておきます。
(8)分銅はかり
商売で重さを正確に早く計る。それはOA化くらいのインパクトがありました。行きつけの駄菓子屋さんでも使っていて、「かりんとう」を買うとき、はかり終わった後必ず一本余分に入れてくれていました。私はその一本を食べずに大切にしまい込んでいましたが・・・。
(9)自転車での出前風景
店の小僧さんがモデル。この姿にあこがれてそば屋、寿司屋、仕出し屋等に就職した人もいたのですから。右の肩に出前箱を載せて、右手で箱を支える。左手で自転車のハンドルを持って、バランスを取って走る。(左右反対でも良いのですが)
コツをつかめばうまくできますが、時々失敗もありました。それも忙しいときに限って!
(10)岩国でのスクーター第2号
ちょっとした配達や集金、雑用に使っていたようです。スクーターが珍しく、走る広告塔として活躍しました。
ところでスクーターと一緒に写っている後ろ側の女の子、誰かに似ていませんか?
(11)五代目当主
若かりし日の五代目当主、30歳頃の写真。結構カッコつけだったのでしょうか。精悍な感じがします。身長が低く徴兵検査は乙種で悔しかったようです。しかし、兵隊に取られずに済み店を支えてくれました。
エラ(頬骨)が張っており、結構頑固でした。頑固だからこそ仕事にこだわってお客様に愛されたのでしょう。「良い頑固」は引き継いでいきたいと思います。
(12)錦帯橋橋板を使ったベンチ
錦帯橋の廃材(平成の掛け替え)を使って作りました。橋板とは人が歩く部分のところです。
この橋板は階段状になってないところのものです。
(13)六代目当主の新婚時代
新婚旅行のスナップ。ボンネツトバスは曲線がとても優雅です。何かホッとする気持ちになるのは私だけでしょうか?
(14)あいさつまわり
ご近所への挨拶まわりへ行ったのでしょう。きれいなおべべを着ています。おべべもですが、店先の風景や家の全体風景が新鮮に感じられます。魚用冷蔵ケース、水を貯めるはんど。屋根の上には西日を避けるためのテントの支え棒。昭和28年の登冨横町の一こまです。
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